大学3年生の時だった。親のトヨタマークⅡを乗り回し、車がボロボロになったころ当時スキーや遊びにはまっていたころだっただろうか、三菱パジェロを買ってもらえることとなった。とは言っても家計はそんな余裕はなかった。妹二人が私立の高校に行っていたのとダブり、自分は長い浪人生活の後学費の高い大学にいるのだ。少し援助という形で購入が決まり、乗りたい車であったので相当浮かれていた。しかし乗ってみるとどうだろう。険しい山道や上り坂でパワーが弱く、エンジンだけが悲鳴を上げている状態だった。当時のディーゼルエンジンはターボこそついているものの常に黒煙をはきどうにもこうにも使い勝手の悪い車であった。ちょうど時を同じくして現弁護士の友人がフォルクスワーゲンのゴルフに乗っていたのだ。表記のパワーは国産のそれに比べ劣っているものの低速トルクは街乗り最高級のパワーを発揮し険しい山道もスピードこそないがストレスなく運転できる。数回借りて乗っているうちにこの車の虜になるのである。ここからはまずパジェロのローンを終わらせるため加速的に返済金を貯めるのである。親よりも稼ぎ出し1年後にはローンは完済した。そして次のターゲットだ。それまでは国産のスポーツカーやパワーのある車に魅力を感じていたがこの友人のゴルフに乗ってからは外国車の魅力にさらされるのである。当時外国車は電気系が弱いとかシフトの取り扱い勝手が悪いとかの評判はあったが、何台かの試乗を済ませるとそんなことはどうでもよくなった。エンジンの吹き上がりと低速トルクの魅力は弱点をすべて打ち消していたのだ。試乗ではプジョーの205、シトロエンのAX、フィアットのパンダ、ミニ、ルノーのサンクが良い印象だった。すべて小型車で車重も軽いのでキュンキュン走る。205はNAエンジンだがハンドル、クラッチ、足回りのすべてが固めの設定であり小石を踏んでもハンドルに情報が伝わった。まずは第一候補の車であった。パンダやミニは楽しく乗れるものプジョーほどの固さがなく物足りなく感じていた。シトロエンは楽しくてもどうも狭すぎて座り心地の悪さで外した。最後にルノーのサンク(フランス語で数字の5の意味)だが、こちらは低速トルクは抜群、ハンドルは重く、クラッチはパワークラッチではない。バックへのシフトレバーは一度下に押したあと全く違う箇所にシフトするタイプだった。運転操作はめちゃくちゃしにくく取り扱いとすると最悪な車であった。しかしこの車やプジョーがラリーで好成績を収めているのを知るとサンクの最上級グレードサンクGTターボに興味が沸いた。当時ルノーは日本では人気がなく販売店も少なかったためGTターボの試乗ができない。今のようなネットの情報はないので、カーセンサーなどで調べるしかなかった。来る日も来る日も車屋に電話をして試乗のお願いをした。そうして見つかったのが三重県だった。パジェロに乗って苦痛な高速を永遠果てしなく、伊勢まで。試乗をすると即決だった。重心の低い小型車は実際の速度より体感速度が速く、OHVのキャブレターエンジンから繰り広げれる世界は今までに感じたことのない快感だった。これが1.3リットル?と思えるほどのパワーは現代でも感じることのない車であり未だに運転した感じは体に残っているほどだ。
即決で頭金を入れ納車待ちとなったのだ。必要な手続きをしたあと待ち遠しくて仕方なかった。そうしてついに納車の日が来たのだ。嬉しさのあまり2日間ほど寝ずに運転した。高速道路ではETCもない時代なので料金所で現金を払う。すべての料金所で軽自動車と間違われていたからラッキーだった。200キロしか走っていない車であったが扱いは中古車だった。なぜ前オーナーが手放したのかがその後わかることとなる。エンジンはバイクのキャブレターと同じだった。湿気が多い、特に夏場にはほぼエンジンがかからないのだ。良くても一週間連続くらい、ほぼ2日に一回はエンジンがかからなかった。それでも恨むこともなく、かわいらしく、その機嫌の悪さが愛しくも感じていたのだ。学校は湘南校舎だったため生意気にも東名に乗って車通学していた時代だ。海老名SAでエンジンがかからなかったため機嫌がよくなるまでいたことも度々であった。それでも愛しく、夜にはゴルフの友人と正丸峠や顔振峠と呼ばれるローリング族が通う峠も攻めた。まさにラリーカーであり、多少のデコボコや急コーナーでは快適、快感、最高級の喜びを感じていた。時が過ぎ、やがて手放さなくてはいけない時がやってきた。そう結婚が決まりこの気まぐれな車では生活できないと判断、いや言いくるめられた。泣く泣く手放すのであるがお別れの日は2日間サンクと一緒に寝た。手放してから10年たった日、我が家に生まれたばかりのミックス犬が来ることになった。少し不器用っぽい感じがサンクGTターボに似ていたので名前はサンクと名付けた。そうして2020年8月21日までサンクと共に生きてきた。両サンクは今では我が家の魂として引き継がれている。