自己紹介10

催促は更に加速し、昌利紙工業株式会社で貼り込みをやっている最中に税務署や政府系金融機関からの取り立てにあった。電話は1時間おきになり正直生きた心地がしなかった。家に帰っても口座が凍結しているため公共料金すら払えず、電気は1か月おき、ガスはなし、水道までも止められることが多くなった。わんこを飼っていたためその飲料水すらお寺や公園から調達していたのだ。もう耐えられない・・。

何度も自害を考えたことか・・。ただ2匹のわんこだけは置いていけない。その思いだけでなんとか歯を食いしばった。夏場をクーラーなしで過ごし10月になったころ、友人の弁護士に相談を持ち掛けた。すぐさま動いてくれて金融機関との話はすべて代理してくれた。そして、忘れもしない10月31日。

弁護士との話し合いをして11月4日事業停止を宣言しようと。11月3日が祭日であったため11月4日にお客様と金融機関、業者にすべてfaxを一斉送信する。ただし今後何年後かに何かしらの事業を復活させるなら金融機関以外にはすべて話を通しておくのがいいと助言を受け、関係するすべての会社を訪問し頭を下げた。文言はそれぞれ違うが、今後また事業を何かしらの形で再開するので引き続き関係を保っていてほしいという内容だ。土下座した箇所もあった。大の大人、それも経営者の端くれ物がだ。がどうだろう不思議とプライドはなかったのかもしれない。心地よく返事をしてくれる会社はなかったものの、ほとんどのお客様と業者が小遣いをくれ、「いいから頑張れ!」と言ってくれたのだ。泣いている暇もなく自己破産に突き進んだ。ここから先しばらくの記憶が飛んでいるが金融機関とのやりとりや税金のやりとりはほぼ皆無であった。もちろん事務手続きはしているのだが、まるで何もなかったかのように時間が過ぎた。時は12月の年末に差し掛かったころ、弁護士から1本の電話が。破産の手続きが裁判所から降りたので取り急ぎ管財人のところに行こうとなった。管財人は気の弱そうな新人弁護士であり友人の弁護士のド迫力に圧倒されていた。

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