当時ディスコと呼ばれる今のクラブが流行っており、自分も高1の冬からはまりだしたのである。週1,2くらいで通い他校の仲間もたくさんできた。入場は1500円から3000円程度でフリードリンク、フリーフードだったため飯替わりに行くことも多かった。箱は70人から400人規模までさまざまであり、日曜日には大学生から回ってくるパーティ券を購入し昼間から入り浸ったたものだった。ついつい一人あたまいくらで売り上げがいくらでと計算癖があったためか、これは事業化できると踏み高3時代にその走りの部分を立ち上げたのだ。浪人生となってもその活動は続き、2か月に1度程度はイベントを企画しパーティ券を女子大生などにばらまいてさばいていたのである。収益としては大したことないが親から小遣いをもらわなくても生活できるレベルではあったのだ。そうこうしているうちにまたもや受験シーズンが訪れたのだが相変わらず勉強することもなく、身の程知らずで早慶だけを受験する親不孝な浪人生であった。結果は聞かずとも2浪へまっしぐらであった。大半はここで大学を進学をあきらめ就職するのであろうが1㎜もその考えはなく、学生企業との両立でいけるだろうと安易な考えを持ち再度浪人生活をエンジョイするのである。2浪には2浪の文化があり、2浪だけが集まり、わずかの劣等感と疎外感を感じながら学生生活を送るのである。逆にこの感覚最高とまで思っていた。ここに自分の切羽つまらない自分の弱点とエンジョイ感が融合して最低最悪な20歳を作り上げられることとなった。そして20歳を迎えた1月、いよいよ大学生に向けての準備を始める。受験まで残された日は1か月。取り急ぎ志望校を決めなくてはならないが模試も受けていなかったため自分の偏差値がない。仕方なく、合格率、付属校からの流入率などのデータを調べ比較的倍率の低い社会学部と文学部を選択するのである。仏教学部という選択もあったが、宗教的には未知の世界で全く興味もなかったので外した。そして科目選択も絡め、比較的得意だった英語と世界史の2教科で受けられる学部を選択した。結果3つの学校に絞られ全部受験することに。感と推測とデータどりから見事にヒットし全部合格であった。偏差値は無視したので自分の実力も学校の評価も正直わからない。そうして選択したのが東海大学文学部北欧文学科であった。全くピンとこないが北欧は福祉の先進国家であり、都市部も田舎部も比較的のどかな環境であり当時のイケイケだった自分には癒しの場所をイメージさせてくれた。デンマーク、ノルウェー、スエーデン、フィンランドの4か国が対象であった。マンモス校であるにも関わらず、この学部学科は比較的少人数で400人しかいなかった。付属校からはまあまあ成績の悪い奴らが集まり、一般受験からは自分のような倍率と受験科目だけで選択するしょうもない奴らが集まっていた。そして語学を選択するのに大半がデンマークとスエーデンを選択するのであるが自分はあまり大勢は好きではないのでノルウェーを選択した。このクラスは1クラス5名であり、2年生の7人と同時のクラスであった。そしてこの少人数がまた人生を狂わすきっかけとなるのである。