自己紹介5

当時20歳で1年生だった自分には年下の先輩や同い年の先輩、同学年、1つ下の同級生、2つ下の同級生が混在していた。しかしノルウェー語選択は同学年は全て20歳、2年生も全員20歳、3年生も全員20歳という偶然の環境であった。恐ろしいくらいの偶然はみんな先輩後輩なく親しく2日もいればまるで古くからの友人のような雰囲気があった。そして質の悪いことに全員がスーパー遊び人であり学生企業などでイベント開催などをやっていたのである。

地域はさまざまで東京、千葉、埼玉、神奈川であり、各地域ごとに人を呼べるので広い範囲はイベント開催の集客には好都合だった。いわゆる先輩たちは某有名企業などの御曹司が多くキラキラギラギラの外車乗り回しのチャラい質であった。雑誌などのも多く取り上げられていたので国内では最高級の遊び人集団であった。そんな場所に合流してしまった自分も刺激がありすぎて負けてられない思いと楽しかったことを継続させるためにどっぷりとイベント開催にはまってしまった。どこから聞きつけてくるのか集客能力を見越してか企業のスポンサーも多くついた。大手旅行会社、運送会社、たばこ、ホテル、スポーツメーカーだ。当時200団体10000人規模を集められる人は決して多くなかったためだとは思うが、個人も団体もパワーがみなぎっていたためだと思う。そして個人的には埼玉方面を取りまとめるためにここに高校時代の友人と浪人時代の友人を合算させるのである。名目上いかにものテニスサークルを立ち上げ、1団体活動を進めるのである。とにかく合宿をイベント化し男子は車持ち、女子はその男ねらいをターゲットに勧誘し団体化したのである。インカレサークルなので専門学校も含め巨大サークルと化すのである。このようなことは特に考えていたわけでもなく、行動から先に行う自分の障害的な特性から発生しているので人から見ればすごいこととか異質感がただようが本人は成り行きなのである。

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