華やかな学生生活をエンジョイしながらも、学費の一部を自分で支払わなくてはいけない環境と車を二台も保有している維持費の関係でこの楽しい生活を維持するにはイベント収入だけでは足りなくなっていた。当時30万円以上は手取りで稼いでいたにも関わらず。完全に頭はぶっ飛んでいる。そうして空き時間を利用し地元の駅前の地下駐車場がオープンしたためそこでのバイトを申し込んだ。早朝から昼までやれるし、どのみち学校にも行っていないので好都合な条件がそろっていた。
駐車場バイトの初日、「古田?あれ古田だよね?」と顔を見ると小学校から一緒だった友人がバイトしていた。彼は現役で大学に行っていたので2つ上の扱いになる。その駐車場ではバイトチーフとして10名程度のバイトのシフトを組んだり指導していた。偶然の出会いはただの偶然ではなかった。就職活動に専念したからバイトチーフを私に任せたいと切り出したのだ。その後2名の年配社員とその友人とで夜フィリピン倶楽部に行き説得させられバイト入社1か月目でバイトチーフとなった。そうこうしているうちにバイトも不足気味であったので自分の学生仲間を呼び込み、20名体制まで拡大した。その駐車場の運営は川口市がやっているが、土地開発という管理会社を天下りで形成しており、実際の管理は江東区の管理会社がやっていたのである。ある日、土地開発から呼ばれ管理会社の経費を抑えるため管理会社からのフル社員を1名としてあとは学生バイトに任せたいとのことだった。私はシフトを朝7:30~23:00までを3部制に分けて夕方買い物客が多い時間帯に集中させて出勤スタイルを作り、夜暇な時間のために近くの飲食店の提携駐車場として利用してもらうよう営業をかけた。その後は夜中車を使わない会社を月ぎめ定期会社を応募してもらい約100台の定期車両を扱うことに成功した。レジは手計算を行わない自動管理システムを導入してもらいバイトの動きの効率化を図った。システムを理解している人間が少なかったため、ちょろまかしもあった。自分の稼ぎはイベント企画、趣味で教えていたママさんテニスコーチ代、駐車場収入で目的の50万円手取りは達成できたのである。しかしこれで収まらないのが自分の救いようのない性格である。