ランチャストラトス、言わずと知れたラリーカーの名車。幼少期にこの車はラリーで活躍していた。存在を知ったのは小学校に入学してからだ。スーパーカーブームの真っただ中であったが、ランボルギーニLP400やポルシェ930ターボに交じってこのラリーカーも仲間入りしていた。当時スーパーカー消しゴムも流行っていたが、ストラトスのその風貌はのっぺりしており決して魅力的なものではなかった。何しろあのエンブレムや貼られたシールなどがないのでその姿はただの薄っぺらの車体である。しかし、プラモデルとなると一変する。あの白いボディーに頭からお尻までの赤青黒のストライプ模様。ラリーで使うゼッケンナンバー。あまりの格好良さに父にストラトスに乗って欲しいとせがんだほどだ。やがてスーパーカーブームは静か去っていき、ラリーなども注目されることはしばらくなかった。が大学に入ったころだったと思う、その時が訪れたのは。インテグラーレという名前の格好良さと子供のころ見た赤青黒の3色のストライプ模様が見事にかぶったのだ。ライバルのセリカGT4やSUBARUインプレッサ、三菱のランエボが出てきた時もちょうどこのころだった。レースではランエボやインプレッサに座をうけわたしていたが、インテグラーレの佇まいは脳裏に焼き付いた。この車が欲しくてたまらなくなったのだ。欲しくて欲しくて探し回ったが、この車の正規代理店はなく、手に入る手段がなかったのだ。あきらめて2年くらいたったころだった。国道4号線をルノー5GTターボに走っていた時に見つけてしまったのだ。5(サンク)に魅了されていた私であったが過去のインテグラーレの夢は捨てきれなかった。そうしてこれから6年後、インテグラーレが4ドアということもあり、家族車として使える判断で結婚を機に購入することができた。この間、フィアットクーペやゴルフGTIを経て手に入れることができたのだ。この時も正規代理店はなく、並行輸入という手段をとったのだ。それでも新車は手に入らず中古並行輸入という異例の方法だった。いざ車に乗ってみると、まずインパネの独特なモニターにビックリする。エンジン回転数は時計の6時位置からスタートする。吹き上がりはさすがにイタ車特有の3000回転くらいまでの軽い感じ。そこからはドッカンターボがさく裂し経験したことのないGとシートへの貼り付き感を感じるのである。RECAROのバケットシートは標準装備でありエンジンをかける=戦闘モードに入る。5(サンク)とは違うラリーカーの良さは特別なものだった。
2年近く乗ったある日のこと、東名高速を環八から入る用賀の交差点での信号待ち。なんとなくアイドリングが落ち着かないなあとメーターを見ていた時だった。ボンネットがドンっという爆発音とともに全開し、オイルが噴出したのだった。車から降りると近くの派出所から警官が寄ってきて事情を聴かれていた。ものの何分もしないうちに消防車も2台駆け付けた。気が動転して派出所で座っていると面倒をみてもらっていた杉並区の車屋もやってきた。結果、車は無事に移動でき、その場から自分は電車で帰宅することとなった。後日車屋に行ってみるとインテグラーレは多少の修理をして元通りになっていた。原因はオイルパーンとエンジンの隙間に葉っぱやゴミがたまっていてオイルの熱をあげてしまい、最終的に耐えられなくなったオイルが破裂したのだ。オイルのコルクはなくなっていたが、部品があったため修理可能だったのだ。今までは車のトラブルは自分の中では魅力に消されていたのだが、この時は違っていたのだ。
もう乗れないかもしれない。そう感じた瞬間に手放すことを決めたのだ。当時購入時は800万円だったが660万円という高値で売ることができた。こんな故障があってもさすがの希少車。約2万キロを2年乗ってこの値段。さすが、インテグラーレ。さようならインテグラーレ。私の体には今もインテグラーレの魂は宿っている。