若いころから人と違ったことをするのが好きで、全員に同じものを配られても色を塗り替えたりカスタムするのが好きだった。こうすれば効率よくいく、この使い方をすれば儲かるなど商売の必須になるようなポテンシャルはあったつもりだ。今でもその性質は変わらずで同じ仕事をするにも効率や性能アップなどには手をかけている。
大学生のころこんなことがあった。駐車場の管理をしているバイトをやっていたころ、管理会社にいろいろな提案をしてうまくいくことがあった。同じ流れで近くのスーパーの朝夜夜中の時間帯の駐車場がガラガラであり、何かもったいなさを感じていた。この駐車場を一般に開放することとレンタカーを置いてスーパーの買い物客に格安で貸し出すこと、重い荷物を家まで運んであげる宅配サービス、しかも宅配は運ぶ人の車を利用するといったアイデアが浮かんだ。市場調査をしたわけではないが、利用客が使いやすく一般的になれば集客できると思った。自分の中ではこのアイデアは売りものになると確信し、スーパーの店長に駆け寄ってみた。返事は本部に掛け合わないといけない事案なのでとあっさりかわされたのだ。本部の場所を調べ、なんとかアポどりできた。が全く大学生の小僧の意見など聞く耳も持たず、話はそれだけか?といった最後の返答で終わった。無残にも引きちぎられた思いを抱き帰宅した。友人にも夜中にこの話をしたが、そのエネルギー違う場所に使えばと。
どうにもこうにもモヤモヤが取れないため、別のスーパーに駆けあった。全く同じような答えではあったが、担当の偉い方が君のような行動力のある人をスーパーで欲しがってる。君なら即店長候補だと言われた。ばつの悪さもありこのような回答をしてきたのか定かではないが悪い気はしなかった。それでも自分の中ではモヤモヤはとれなかったため、このアイデアはいつか将来のためにとっておこうと思ったのだ。数年後、そのスーパーは取り壊され、大型レンタルビデオやと書店が合わさった複合店舗に代わっていた。となりの大型駐車場は一般客も使えるタイムズになっていた。そしてそこには今では一般的となっているがシェアカーが10台ほど置いてあったのだ。自分が考えていたことがルートこそ違うが実現化された瞬間だった。そして現代社会ではウーバーやネット宅配スーパーも一般的になっている。自分では先読みしたつもりでいるが、誰が考えたのかなんかは正直わからないのである。もしかするとその時代と合わないシステムだったのかもしれない。
結果、そのアイデアは自己満足であって1円にもならないのである。人からよくアイデアマンだねと言われることもあるがアイデアは実現しないと何も役にたたないものなのである。先読みすることは悪い事とは思っていないが、そこにアイデアを実現させようと思うとエネルギーだけでなく時代背景も必要なのだと改めて感じる。そして50を過ぎた今でもこの性格は変わらず、同じようなことを繰り返している。いつか自分のアイデアが実現する日がくるまできっと考え続けていくのであろう。