自分も大人になって、55にしてようやく世の中の流れやトレンド、世界観などを少し知るようになった。思い返せば、学生時代に任天堂のスーパーマリオが出現し今なお人気のゲームである。親からはゲームばかりやってと顔を合わせば呆れられていた記憶がある。はたしてゲームは不必要で害のある遊びなのか?テレビゲームが流行りだしてからは世間ではなるべく子供にはゲームをやらせないことが教育として当たり前になっていた。今教育現場では読み書きそろばんお習字などは陰りが見えている。なぜか?計算機が現れ、一般的にどこでも使用されるとそろばんは必要なくなった。パソコンでエクセルやワードを普通にこなせれば関数や方程式、文章の漢字変換などで過去の教育のトレンドは終わりを遂げたのである。おそらく学校で四則演算、漢字の読み書きを習う必要はどこにもない。
子供からこの方程式はどこで将来使うのか?と問われた場合、答えられる大人はいないと思う。みんながやっているから、昔からやっているから、と戦後教育、クラス全員が右と言ったら右が正しい。先生が赤と言ったら赤なのだ。私が小学校5年生の時、自転車の競技に出たことがあった。競技と言っても速さなどを競うわけでもなく、自転車のあまり使われない、右に曲がるときは左手を肘から折り曲げて後ろに合図するなどという全く世間で使われていないルールがいかに正しくできるかの競技である。その時、指導してくれた先生に信号はなぜ緑なのに青と言うのかを問い合わせたところ信号は昔から青で渡る、赤で止まるだからと返答された。正直未だに疑問い思いながら生きているのである。
子供が3歳になりようやく外で手をつないで歩けるようになった。赤は止まれ、青は進めと押していたところ、青に信号が変わった瞬間「みどり(みんみと言っているが)」と声を上げたのである。あれは「あおだよ」と言うと「NO!」と突き返されたのである。どう説明したらよいかわからず子供時分のことを思い出したのである。
さて、数学、方程式などなぜ学校教育で必要なのかの自分なりの答えであるが、何かを考える際、結論づける際の根拠のためだと思っている。なぜそこにたどり着いたのか?の根拠、算出方法が理解できない大人を作らないためだと思う。商売をやっていれば何が売れるのか?市場の数字はどうなっているのか?単価の算出は適正か?利益と税金の関係などあらゆる場面で数字をはじき出す根拠が必要なのだ。方程式を丸暗記してもなにも役に立たないのは事実だ。問題はなぜその方程式に行き着いたのかが重要なのである。答えはあっていればそれに越したことはないが、基本計算が間違えていても最悪エクセルや計算機が何とかしてくれる。その方程式を知っているか知らないのかがまずは大事なのではないか?と思うようになっていた。これはゲームから学んだことで、時間、エネルギー、武器の相関関係をゲームで学ばしてくれる。ゲーム内の通貨は市場の価格、売り買いをするトレード手法(商売感覚)、ゲーム内の仲間とのコミュニケーション。まさに人生の縮図なのである。否定する感覚は1ミリもないのである。むしろゲームを否定してきた大人たちに残念な気持ちと悲壮感まで感じてしまうのである。ここ最近日経平均株価が上がっている。株はなぜ上がるのか?もちろん売る側が少なく買う側が多ければ自然と上がる。ではなぜ買い手が増えるのか?そこのはおおむね日米の金利の差が関係する。日銀が金利を上げるような匂い発言をすれば一気に円高になり株価は下がる。一概に円高となれば国力とすればそれで良いが実際には大手企業の株価を下げるのである。円安=株価上昇という図式もいかに企業が輸出に頼っているかである。国内で物が売れない、だから海外に出る、最終的に外貨に頼っている日本国はもう少しゲームから学びを得て、学校教育でお金についての勉強、投資についての勉強、商売についての勉強を義務教育からやるべきである。
我々の幼少の時代にも「人生ゲーム」があったじゃないか!