時間に追われる毎日の中で、麻雀と競馬はやめられず、と当時流行っていたF1の観戦には力を抜くことができず、更なるお金が必要だった。稼ぎやすいのは駐車場であったため、バイトのシフトを見直し経費としては1か月30万円ほど抑えることができた。更にレジのシステムのアップデートで夜は5名体制から2名体制まで絞り込み、ここでの圧縮金で20万円を個人的に稼ぎ出せるようになった。時は大学4年時の10月、そろそろ卒論の時期に入り、就職活動の件もよぎっていた。しかしどうも就職する気になれず、希望留年を提出し卒論を提出しなかった。1年延長。浪人2年、留年1年。人よりもかなり遅れた学生生活の終焉だが、それも人生、開き直って駐車場業務に励んでいた。そして当時の高校時代からの友人も同時に留年をして同じような人生観を持ったままお付き合いしてくれた。まあこの部分は定かではないのだが・・。この友人とは弁護士として生計をたてているのだが、公私ともどものお付き合いとなっている。ここまでが学生時代までの生い立ち、性格形成であるが、社会人となってからは人生山あり、谷あり波乱万丈な人生へと変貌していく。