自分の体験だけ話すと、社会人になってからは仕事が上手く進まない、思うように行かないの連続であった。 時に客に叱られ、時に従業員から歯向かわれ、時にストレスから原因不明の病に侵され、時に生意気だと揶揄され、家庭では何もしない出来ない旦那とチクチク痛ぶられ。 どうして自分がこの世に存在しているのか、自己肯定感ゼロの全く生きた心地のしない事も多かった。 タイミングだったのだろうか、細木数子の占いが流行った頃だった。当時1ミリも占いを信じる事はなかったが、何故かその時だけは自分の星を調べてみる事にした。 金星人のマイナス 霊合星という12人に1人あたりの特殊な星だった。いい事と悪い事が同時にやってきて、毎月のように運勢がデコヒコする星だった。 振り返ってみるとドンピシャに当たっていてビックリしたものだった。それまでは全く信用していなかった占いもその後は少しだけ気にするようになった。思い起こすと、仕事を始めたときは古い職人さんが辞めてしまい毎日のように夜中まで断裁、折などの下ごしらえ仕事をやって、早朝から無線綴のセットをする日が続いていた。睡眠不足で思考回路は停止していたが、そんな時金曜日の晩、いつものように断裁作業をしているときだった。近くの印刷会社の社長が訪ねてきてダンス公演のパンフを作って欲しいとのことだった。しかも土曜日の朝に刷り本を入れるから昼までに作って欲しいというかなり無茶な要望であったが、思考回路の停止状態のあまり、深く考えず2つ返事でokしてしまった。当日納品は1時間遅れでなんとか格好はついた。翌週、その社長と草刈民代さんがお礼のお菓子を持って私を訪ねてきた。そうそのパンフレットは草刈民代さんのダンス公演のパンフレットだったのだ。
当時はシャルウィダンスの前であったためその存在は知らなかったが、製本をしただけでお礼を言われる経験などなかったためシンプルに嬉しさだけが残った。後から知ることになるのだがその社長は草刈民代さんのお父さんであり大きな印刷会社を経営していたのだ。それからは自分も忙しい中であったが何度か会食に誘われて高級ラウンジなどで接待を受けた。逆だよね?どっちが客?と思いながらも誘われるがままにお付き合いをした。しばらくするとその印刷会社から大量の仕事を受けるようになった。私の体は悲鳴をあげるどころかトイレさえ行けない状態まで歩くことに抵抗を感じていた。しかし、一方で仕事はその会社の仕事のおかげで他の会社の不定的な仕事をお断りするくらいまで安定した。しかも翌月半ばには現金支払いであったので会社はみるみるうちに安定していったのだ。その年の年度末には家庭でもパートナーができ何とか普通の一般的な生活ができるまでになった。生きていて良かったと思える瞬間であった。従業員も新人が入ってきて一瞬順風満帆に思えた。しかし、これも長くは続かずその社長が一線を退き社長交代となった瞬間に体制は変わり翌月の仕事は0になったのだ。びっくりするくらいの落差であったがうかうかしてられず次の客を探すのである。この時もタイミングなのであろうか大手製本会社から声がかかりすぐさまその会社とお取引が始まり、会社は規模拡大をしてそれから年商2億円までの会社となったのだ。こう思うと悪いことと良いことがほぼ同時期に来ている。霊合星まんざらでもないなと思った時であった。それから時が過ぎこのようなことを繰り返し生活していると、悪い事が起きた時がチャンスの時と超ポジティブシンキングに転じていたのだ。このような現象は今でも続いている。特に感じるのは仕事でクレームなどが発生した時だ。お客から叱られる時はかなりブルーな気持ちになるが、その後の調査、報告では普段あまり会話しない従業員とも会話ができ、最後はその従業員の生活パターンや体調、心理的状態までも把握できるのだ。報告書には心理状態まで記することはないが、社内的な改善方法などは比較的有効的なものとなるのである。まさにクレームは会社にとっての宝である。場合によってはお客様の少偉い(ポジションが)方にもお会いすることができるケースもある。普段では絶対会わない人の場合もある。そうこれが悪い事がマイナス要素だけでなくそれが栄養素となって自分や会社に染みてくるからくりだ。